れんげのはなかざり

読んだ歌集・歌書についての感想を書くブログ。無駄話多め。

『トントングラム』 伊舎堂仁

実は今週末に「トントングラム」の批評会がある。その前に自分の感想を書いておきたい。 

トントングラム (新鋭短歌シリーズ18)

トントングラム (新鋭短歌シリーズ18)

 

 

伊舎堂さんと初めてお会いしたのもある歌集の批評会だったけれども、その2次会での彼のスピーチが圧巻だった。私が名刺をお渡ししたら、あげるものがないからってそのスピーチ原稿(コピーだけれど)をくれたのがその日の個人的なハイライト。

その時、「トントングラム」もあげますよ、って言われたんだけど「いえ、欲しい歌集はちゃんとお金を出して買います」と固辞してしまった。お気持ちはありがたいが、私が歌集を出してどなたかに差し上げるなんてことはどう頑張ってもありそうにないし、いただいてばかりというのもきまりが悪い。贈答文化の外側(?)にいる人間のつまらない意地だと思って笑って欲しい。

 

 

海だけのページが卒業アルバムにあってそれからとじていません

 

この歌が一番好き。好きだし一番いい歌だなと思う。それまで吹き気味に笑っていたのにここでちょっと泣きそうになった。すごくきれいな海なんだろうな。「拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません」(笹井宏之「ひとさらい」)を連想した。なぜか、なんとなく。

 

  

今は名が、それも一階から呼んでるような名前だけがききたい

 

自分のいる自室は二階にあって、一階にいる家族(九割方、母親の可能性)が「ひとしーごはんよー」とか呼んでいるような、ということか。なんだか懐かしい感じ。などと書いている私自身は集合住宅にしか住んだことがなく、子供の頃は「お二階のあるおうち(≒一戸建て)」というのに憧れてた。だからそういう場面は昭和のホームドラマの中でしか知らないけれど。

 

  

ラジオ体操の帰りにけんかしてけんかし終えてまだ8時半

 

朝の8時半だ。「けんかし終え」というのはどういう状態なのか。仲直りとは違うんだろう。夏の朝の時間の長さや、子供の頃(小学生の低学年くらいまで)の時間の流れ方の、今から思えば異様にゆっくりだったことを想う。(ちなみに私はそれが嫌で早く大人になりたかった)

  

 

男ってアホだからさを言うときにそうは思ってないのが男

 

へぇ。そうなんだ。じゃぁ、そんなことないよって言って欲しいのが女、か(と書いてしまってから、そのどうしようもなくつまらないことに気付く)。

 

 

こっそりとキャベツを拾うきっとこの顔はいつかに母さんもした

 

わかる。そういう、親の気持ちの理解の仕方をしたときの微妙な感じ。

 

 

雪見だいふく 作り方 で検索しているような子が好きである

お釣りで募金したときの二回目の「ありがとうございました」が嫌 

 

伊舎堂は嫌いなものが多そうだ。どんな場面でもわりと反射的に好悪を感じてしまうんじゃないか?振れ幅が大きいというよりは感度がやたら高い、みたいな。

 

 

由来は、ときいてもすぐにはこたえてはくれずにカップをおいて「蛍が、 

 

ドラマか映画の1シーンのようだ。そういう「間」に溢れかえっているものを掬い取っているんだな。「誰か」と自分の関係性に焦点を当てている歌が多いような気がする(精査していないが)。

 

 

おもしろい人と思われたいおもしろいと思われたい人じゃなく

 

 同意も共感もするんだけれど、「おもしろいと思われたい人」はそこらじゅうにいて、そういう人からはイヤな奴だなーくらいのことは思われそうだ。

明日(もう明日だった)の批評会を楽しみにしながら、この辺で終わります。