『蓮喰ひ人の日記』 黒瀬珂瀾
我が師、黒瀬珂瀾さんの第3歌集。
1月には未来短歌会の新年会があり、その午前の部は昨年刊行された会員の歌集についてのシンポジウムだった。それで私も未読のものはすべて通読した。それがこのブログを始めたきっかけなのだが、この歌集についてはすでに自分の他のブログで記事にしていたのだ。黒瀬さんは「どーもありがとうねぇ!5回も書いてくれて」なんておっしゃっていたが、わりと遊びの要素の強いブログであり、1つの記事にまとまらなかっただけなのでかえって申し訳ない気がした。改めてここにまとめておこうと思う(そうしないと次に行けない)が、私が書くのだから内容が高度になるわけもない。今回もほぼ無駄話である。
何度読み返してもやはり、お子さんを詠んだ歌がいいなと思う。異文化の中で暮らしや、震災や社会のことを詠んだものをもっと深く読みこめたらいいのかもしれないが、やはり何がぐっと来るかって考えるとどうしても、そこに行きついてしまう。けっして共感至上主義ではないつもりなんだけど。
それと、一人の歌人の歌集を始めから順番に読んだことがそういえば無かった気がする。「黒曜宮」「空庭」とも趣がまったく異なるのが面白くて、次はどんな歌集になるのかなーっと、今はお気に入りのアーティストのアルバムを待ち望むファンのような気持ち。
二社を経てわが目に届く白煙を指の隙より見つめつづけぬ
サハリンと北緯等しき朝を鳴くユリカモメ 父になるぞよいのか
児も妻も神殿のごと眠れるを簡易ベッドに見上げてをりぬ
アスパラガス嗅ぎつつ見ればなんといふ決意の顔で乳房に挑む
サイレンの止まざる夜を川の字の棒と呼ぶには短き吾児よ
小さき指さまよひて小さき口腔にまだ着かぬなんと小さき旅だ
ハイローチェア揺るれば眠るバンザイの手は頭頂に届かざりけり
立て抱きにさるるよろこびいつの日か汝が首をもて眼差しを得よ
擡げたる首ゆ初めて見る吾児よここだ、世界に航路は満ちて
カダフィさん死んじゃったね、と児を抱けば父の鼻梁をふふめりあはれ
ピーナッツバターを掬ふやうに便削ぎ落としわが青年期果つ
乳くさきげつぷを浴びせてまた寝付く児の頬をわが頬もて支ふ
腹満ちて眠れる顔は鮟鱇のやうで旅路を照らしておくれ
スコットランド独立の声はひびきをり児の寝返りは左ばかりへ
妻と児があれば吾など誰でもいいひかりを諾ひ生きゆかむかな
黒瀬さんは「歌集は装丁が大事」とおっしゃっていて、この歌集についてもそのこだわりポイントを語ってくださったのが、たしかにこれほど美しい歌集は無いかもしれない。私もこの歌集は、読むまえに青系の付箋を買いに行った。真紅でもよかったかもしれないが、結果的にものすごい数の付箋を貼ってしまったし(苦笑)。