『噴水塔』 加藤治郎
またわりとどうでもいい感じの、個人的な話をする。
私が短歌を始めたばかりの頃、最初に投稿してみたのが「短歌研究」の「うたう☆クラブ」だった。5首まで投稿できて、どうやら投稿すれば1首は必ず載るらしい。最初だったから載らないかも、と思いながらも立ち読みしたら、★付きで載っていたから驚いた。★印付きというのは、「完成度が高い」とされたものだと書いてある。
自分ではその歌よりももっといいと思っていた歌があったし(今思えば初心者あるあるだな)、どうしてその歌が載って、しかもどうして★が付いたのかまったく分からなかった。
でもその★を付けて載せたのが、その月のコーチの加藤治郎さんだった。
分からないながらも、そこが面白いと思ったからその後も投稿を続けて、何度目かにうたう☆クラブ賞(このときは斉藤斎藤コーチ)をもらったりしたもんだから、嬉しくて短歌に本腰を入れることにした。
うたう☆クラブ賞を二度目にいただいたときは加藤治郎コーチだった。このコーナーで加藤さんから賞をもらえるのは将来性のある若い女の子だろうという、しょうもない偏見を持っていたから驚いたし、そんなことを考えていた自分を深く恥じた。
私にとって加藤治郎さんはそのようにして、私がちょっとずつ短歌の世界に入り込むきっかけを作ってくださった方。「未来」では、私は所属選歌欄をひとつの学級のように感じているのだけれども、師匠が担任の先生なら加藤治郎さんは学年主任の先生みたいな雰囲気。加藤治郎さんの選歌欄である彗星集の歌会にも一度おじゃましたいなとは思うものの、曜日が合わなくて今のところ見送ってばかりだ。
私のどうでもいい話はこのくらいにして、歌集から歌を引こうと思うのだけれど。
しかし、難しい。きっと、この歌には誰それのあの歌のあれやこれやが・・・という仕掛けがそこかしこにあるに違いないのだ。
たとえば、
青茄子の四、五本朽ちて居たりけりこの路を行く昭和の男
これは斎藤茂吉の
赤茄子の腐れてゐたるところより幾程なき歩みなりけり
の歌を想起させる。さすがにこれは私でもわかる。だから、そんなふうにおそらく高確率で「知らないとその意図がまったく受け取れない歌」があるに違いない。(そしてそれを知らないのは私くらいのもんなんだよウワアアアン・・・)が、今それを気にしてもしょうがいないので、すっぱり諦めて単純にいいなと思ったのを挙げることにする。
エクセルのセルの色合い迷いつつ暗澹と塗るパステルカラー
洋梨を抱えて何処をあるいてる さきにめざめたほうがさみしい
ひだり手にスポーツ新聞もっている俺を無害と思うなよ、今
ゆうぐれに開くページのほのあかり文字はときおり息をして居り
始まっていない戦争あちこちに風船の顔みな笑ってら
囁きのように時間が過ぎてゆく平たくなった石鹼ひとつ
左右からカーテンを引くそのように心の街のとおいたそがれ
くろぐろとコードの絡む床を見るそのようにどうしようもない夜
日々はただ帰宅することひとところ澄んだ林檎の香り漂う
プラタナス、世界の終りの一日にあなたは本を整理している
メロンパン、そもそもきみは詩人でない斜めにちぎって笑ってやろう