『ふくろう』 大島史洋
大島史洋さんは批評会などでそのお話を聞く機会があるのだが、評の折々に近藤芳美はかく語りき、といったお話をされるのが痺れる。
それは岡井隆さんもそうであるし、良くないところをバッシバッシと評していくのは他の評者も同じだけれども、語り口のざっくばらんなところがいいなぁ・・・と、遠くから一方的にお慕い申し上げるばかりなんですが。
ただ歌集を選ぶとなると「新進気鋭の」と言われるような若い人のばかりに目が行ってしまってなかなか手が出ない。もっと幅広く読まないとなぁと反省する。
読みはじめれば案外すっと入ってくる印象を受けるのは現代かな遣いのもつ雰囲気のせいだろうか。きつくはないが、もってまわった言い方をしない、あの語り口を思い出す。
ご家族のことを詠んだ歌が印象に残る。男性にとっての父親、親の老いに対する気持ちは私には想像することしかできないが。
父と子の絆はたとえば隣人愛 傘一本の貸し借りくらいの
隣人愛。哲学的だけれども、この歌の寂しいような温かいようなところになんとなく納得させられてしまう。ひとつひとつの歌に重みを感じるけれども、全体の雰囲気的にはむしろ自然光の明るさを思う。
寂しさの根源として縁側の日なたに出でて正座する人
兄と来て墓に凍れる花を抜くきららなす襞 氷の花の
わが娘深夜の厨に納豆を立ちて食いいきたのもしきかな
「六十を越えた老翁」となんのこだわりもなく書けり茂吉は
よしやってやろうじゃないの任せなと何のせいでか言ってしまった
妻の居ぬふるさとなればちゃんちゃんこのままにて朝の散歩をしたり
父の老い誰にもわからぬ域として真実ひとりの世界に入れり
この顔は自分を許していない顔 甘ったれの俺だからわかる
マンションの片隅にして葉桜となりはじめたる木々の静けさ