『うずく、まる』 中家菜津子
短歌250首と詩13篇が収められている。標題作の「うずく、まる」も詩。
中家菜津子さんは未來の「彗星集」の方。「未来」誌上の作品もほぼ毎月、詩と短歌とで構成されている。
私は詩のことがよくわからない。わからないというのは、おそらくどう鑑賞したらいいのかがわからないのだ。「うずく、まる」の一篇を読んだとき、なんだか強烈な生理痛が来たときみたいに下腹が重苦しくなった(ほぼ50%以上の人に伝わらないことを言っているのはわかっているのですが、ちょっと他に表現のしようがない)。
表紙のゴッホの「星月夜」の渦、疼く、蹲る、まる。言葉とイメージの連鎖が押し寄せる。詩を読みなれていないせいかもしれない。文字数が多いとどうしてもひと息に読みたくなるのか、緊迫感が鋭さを伴って畳み掛けてきて、ぞわっとしたのだろう。
短歌を読んでいくとゆったりとした拡がりを感じられる。相聞に好きな歌も多い。だが、同時にひやりとした感触も残った。
一本のひかりの道に手をのばすさっき真冬の葱をつかんだ
雪の日の植物図鑑のつめたさを抱えて渡り廊下を歩む
なぜだろう無意味なものほど愛しくて座席をひとつ移る夕暮れ
悪夢から目覚めてママに泣きつけばねんねんころりあたまがころり
冬のバス、角をまがれば陽はさしてあんずのような頰のひだまり
ゴッホとかサンドイッチの耳のこと気になったまま学校へ行く
さかしまに図書館は建つ噴水の青い絶え間をゆくひるさがり
じゃがいもの皮を剝くとき母親と同じ仕草で首を傾げる
黒揚羽からだと影がいれかわる山百合の上で翅とじるとき
わたしからあなたへそよぐ風は知る耳のかたちが似ていることを
ひとさしゆびでオルガンを弾くうす闇に声にならないほのかな光