『かなしき玩具譚』 野口あや子
野口あや子さんは「未来」の彗星集の方だ。お会いしたことはないが若い方だということは歌からもわかる。
連作のタイトルにある「携帯電話」や「マスカラ」が「玩具」ということなのだろうか。私が同じくらいの年齢だった頃には知り得なかった世界ではあるが、ああでも、私にもかって椎名林檎のアルバム「勝訴ストリップ」にどっぷり浸かりこんでいたような時期がありました。「カメラ屋の」初句から「浴室」の歌詞が即座に思い出せる程度には。
けれども、やすやすと共感することを許してくれないこの感じ。なんともキリキリした雰囲気の歌集だ。ハツラツでも、キビキビでもなく。
これはたぶん個人的な感想だけれども、治りかけの傷が痒くてたまらない、みたいな気持ちになるのはなぜなんでしょう・・・?
街が吐く音が聞こえるざあざあと同級生に居場所を聞けば
ビューラーの金属光は相聞の拷問危惧になりにけるかも
伏せた目にこぼれるなみだかなしさもつねに無色でいられないこと
泣くときに涙袋を押しながら憎しみはおさえているのを知ってる
頑張ってる女の子とか辛いからわたしはマカロンみたいに生きる
ネクタイを留めた指から蝶々が湧きでるような恋だったこと
女性用シャンプーのくびれのごときやさしさにすこし戸惑いながら
玄関の鍵を回して玄関に朝のひかりを突きさしている
ビニールに萎える三つ葉の濃緑の 来世は洗濯ばさみでありたい
白シャツから光は透けてクリオネのような身体をもてあましたり
でもどうせ生きたいからだ バスタオルで包みさしだすわたしのからだ